2012年10月18日木曜日

古い建物との別れを惜しむ日本の「解体文化」

_

●14日、華字紙・日本新華僑報の蒋豊編集長のブログに「中国も日本の『解体文化』を学べばよい」と題した記事が掲載された。写真は8月、解体が決まった北京の映画撮影所「北京電影制片廠」。映画「さらば、わが愛/覇王別姫」など多くの名作が撮影された。



レコードチャイナ 配信日時:2012年10月17日 23時28分      
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=65524&type=0

<在日中国人のブログ>
古い建物との別れを惜しむ日本の「解体文化」、中国も学んでみては?

 2012年10月14日、華字紙・日本新華僑報の蒋豊(ジアン・フォン)編集長のブログに
 「中国も日本の『解体文化』を学べばよい」
と題した記事が掲載された。
 作者は同紙解説員の倪亜敏(ニー・ヤーミン)氏。以下はその内容。

 日本の新聞報道によると、1891年に建てられた日本最古の立体交差駅、JR折尾駅(北九州市八幡西区)が老朽化に伴い、年内に解体されることを受け、13日、地元住民らがお別れイベントを開催した。
 120年以上の歴史を誇る古い駅舎に感謝を伝え、別れを惜しむのだという。

 同じようなイベントは日本各地で行われている。
 2度と会えない古い建物に対する愛着や感謝を表すのだ。
 古い建物はその瞬間、まるでそこに生きているかのように光り輝き、人々の心の中に美しい思い出として刻まれる。
 これと同時に人々は時代の変化を痛感し、建物との別れを受け入れるのだ。

 このような儀式は日本の「解体文化」の一部となっている。
 中国も経済の飛躍的な発展に伴い、多くの都市で大々的な解体が行われているが、残念なことに日本のような「解体文化」はまだ形成されていない。
 「解体」と聞くと、マイナスのイメージしか沸いてこないのは、日本のような文化的要素が足りないからだろう。

 実は日本も1950~1960年代には歴史的価値の高い多くの建物が解体の憂き目に遭っている。
 東京は歴史上の“江戸”とは異なり、1964年の東京五輪以降に作られた全く別の街だと非難する人もいた。
 それでも日本社会は「解体」に様々な要素を加え、都市景観を変化させながら、国民の素養を高め、社会全体を向上させたのである。

 そこには「人情的」な要素のほか、「法的」な要素も加えられた。
 1950年に制定された「文化財保護法」では、貴重な歴史的建物を解体する際は法的な手続きが必要と定められている。

 「時間的」な要素もある。東京都は震災対策として、墨田区の木造住宅密集地の解体・整備を計画しているが、政治的な成績を気にして焦って進めようとはしていない。
 解体に7年、整備に5年の時間が設けられている。
 解体ブームの真っ只中にいる中国も、隣国・日本のこうした「解体文化」を学ぶべきだろう。(翻訳・編集/NN)

●蒋豊(ジアン・フォン)
25年以上にわたってメディアの仕事に携わる。1999年創刊で年間発行部数324万部を誇る日本の中国語紙・日本新華僑報編集長。




レコードチャイナ 配信日時:2012年10月23日 9時2分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=65732&type=0

何でも取り壊す時代は終わった?
古い街並みの修復を始めた中国
―米紙


●20日、米紙は「古い建物の修復が中国で根を下ろし始めた」と論じた記事を掲載した。写真は清朝末期の趣をそのまま残し、新しく生まれ変わった中国・北京の老舗商店街「大柵欄」。

 2012年10月20日、米紙ロサンゼルス・タイムズは、
 「古い建物の修復が中国で根を下ろし始めた」
と論じた記事を掲載した。22日付で環球時報(電子版)が伝えた。

 清朝末期の趣をそのまま残し、新しく生まれ変わった中国・北京の老舗商店街「大柵欄」。
 北京市政府と北京場域建築工作室(Approach Architecture Studio)が共同でこの古い街並みを整備した。
 大柵欄では取り壊しを一切行わず、昔からの建物を画廊やオフィス、店舗へと改造した。

 同工作室の梁井宇(リアン・ジンユー)氏は
 「当初は取り壊しや建て直し以外の方法で、古い北京の街並みをそのまま継続させることは難しいと考えられていたが、革新的な方法で古い建物を残すことを市政府に提案した」
と語る。

 「世界の工場」と呼ばれる中国は長い間、大量生産や安価な製品の国だった。
 だが、中国指導部はついに中国を「革新的な国」に生まれ変わらせる計画を打ち出した。
 製品の企画やデザインを中国で行うよう奨励するほか、都会の中に取り残された未開発地区の再開発にも取り組み始めた。

 600年の歴史を持つ大柵欄は天安門からほど近い場所にありながら、ほとんどが昔のままだった。
 北京で古くから小吃(軽食)店を営む岳(ユエ)さんは
 「実は昔ながらの街並みは外国人にとっては魅力的。
 本来の中国らしさを知ってもらいたいので、大柵欄は取り壊して欲しくなかった」
と語っている。




サーチナニュース 2012/10/23(火) 15:31
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=1023&f=national_1023_020.shtml

消える伝統…自然村が「1日100カ所」の割合で消失=中国
        
  中国で「自然村の消失」が加速している。
 「自然村」とは行政区分上の「村」ではないが、農村部などで世帯がある程度集まった地域を指す。
 日本の「集落」に近い概念だ。
 10年前には中国全国で360万カ所の自然村が存在したが、現在は270万カ所に減少。
 1日当たり80-100カ所の割合で、自然村が消えつつある。中国新聞社が報じた。

  中国の農村部では古来、天災や戦乱などによる難民発生などがないかぎり、人の移動は極めて少なかった。
 閉鎖的な意識や社会構造という問題点もあったが、各村落では独特の習慣や風習が保たれていた。

  「五里不同風、十里不同俗(5里離れれば“風”が、10里離れれば“俗”が違う)」
との言い方があるほどで、中国文学芸術界連合会の馮驥才副主席は、中国の自然村について
 「わが国の物質的文化遺産のうち、最大のものは長城だ。
 非物質文化遺産のうちで最大のものは村落だ」
と指摘した。

  馮副主席によると、
 「伝統的な村落はそれぞれが、分厚い古書と同じ。
 ところが、多くの古書は読むのが間に合わないうちに、次々に消えている」
という。

  馮副主席は、
 「伝統村落という“古書”のすばらしい内容は、子孫に伝えねばならないものだ。
 今、きちんと読んでおかねば、永遠に失われる」
と、伝統村落の調査・研究の必要性を強調した。

  馮副主席によると、住民がいなくなって自然村が消滅するだけでなく、現代化・都市化の進行と共に、集落として残ってはいるが、「伝統村落」としては変質してしまった例も多い。
 「山東省の場合、伝統村落はなくなってしまった。
 山西省では、残っている伝統村落もあるが、すでに消えてしまった場合もある」
という。

  清華大学建築学科の陳志華教授は1989年以来、伝統村落における建築様式などの研究と保護を行っている。
 陳教授によると、
 「中国は農業大国を築いた民族と自ら言っている。
 それなのに、農業社会はもう終わったなどと言ってよいわけがない。
 天も許さない」
という。

  農業文明がなくなってしまえば、中華民族は
 「薄っぺらいものになってしまうことは明らか」
で、
 「中国人も文化レベルがもっと高くなれば、自らの農業文明を意識するようになると信じている」
という。

  陳教授は83歳になったが、現在でも各地の伝統村落を巡っている。
 民家を含め多くの古い建築が「現代化」の名のもとに壊されたり改造されることが、特に大きな問題という。

  情報を入手して現地に足を運んだが、すでに建物が取り壊されていたというケースも多い。
 浙江省では、ある村に
 「古い祠(ほこら)があり、中には83点の額が飾られている」
という情報を得た。
 浙江省で額が飾られている祠は他にはなかったので、大急ぎで翌日には現地に行ったが、
 「不必要として燃やされた直後だった。
 こげて残った柱からは、まだ煙がたなびいていた」
という。

**********

◆解説◆
  日本では定年退職した教授などを「名誉教授」として、その称号で呼ぶ場合が多いが、中国では退職後も、在職中の「教授」の称号で呼ぶことが一般的。陳志華教授も、大学教授としてはすでに退職したが、自らの意志で農村部の研究を続けていると考えられる。




【国家の品格=ゼロ】


_